Wkipediaによれば、認知症とは「後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が低下した状態」だという。自分の祖父も、去年あたりから認知症を患っており、最近はその症状も悪化してきている。
高齢者に見られる認知症の場合、後天的な脳の器質的障害というのは、老化にともなう脳組織の萎縮を指す。つまり、老人の認知症は、脳細胞が死んでし まったことで脳が正常に機能できなくなることが原因だと考えられている。コンピューターで言えば、レジストリの情報が少しずつ破壊されていくようなもの だ。
そう考えると、認知症の老人が、妄想的なことを言い始めたり、突然暴れだしたりすのも、当然のように思える。
だが、自分の祖父を見ていて思ったのは、認知症は単に脳細胞組織の萎縮による病気というよりは、死の恐怖に対する自己防衛的反応なのかもしれないということだ。
現在、医療技術の進歩により、人の寿命は驚異的に延びてきた。しかし、それでも死は相変わらず不可避なものである。そして一部の人間を除き、やはり死は圧倒的な恐怖である。
寿命に近づきつつある老人は、自分はもうすぐ死ぬという恐怖に対面している。もういつ死んでもいい、と達観できている人なら平気なのかもしれない。しかし、まだ死にたくない、そう思っているのであれば、その状態は完全な拷問だ。
そんな拷問のような状態にさらされると、脳は無意識的に死を意識しないようにするのではないだろうか。
そして、死を意識しないために、脳はその能力を自ら低下させるのではないか。それが最終的には脳組織の萎縮を招き、認知症と呼ばれるような状態をもたらすのではないか。
仮にそうだとすれば、薬によって認知症の進行を食い止め、患者の意識を「正常」に保とうとするのは、彼らが必死に逃れようとしている死の恐怖に無理やり対面させることになる。
鬱病などの精神疾患においても、薬によってその症状を緩和することができたとしても、その根本的原因を解決しない限り、治癒はできない。薬の投与だけでは、逆に患者をさらに追い込んでしまうことすらありえる。
認知症の治療においても、薬を投与するだけでなく、死ぬのは恐くないと思える環境を作ることが、とても重要なのではないかと思うのである。

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