「いかなる座標系においても真空中では光速度は不変である」。この「だからどうした?」感が満載の原理を、光速度不変の原理と呼ぶ。
そもそも、日常生活において、光の速度を気に留める必要など一切ないし、その光の速度が不変であったところで、「へぇ~」と言う気にもならない。車の速度を気にしないのは問題だが、光の速度をいちいち気にしているような人は、違う意味で問題を抱えていると言える。
このように、光速度不変の原理なぞ気にしたところで一円の得にもならないのだが、ちょっと発展させると、時間が遅れたり物が縮んだりといった「どら○モン」のような世界が広がるのである。
「どら○モン」の世界に行ってしまう前に、「いかなる座標系においても真空中では光速度は不変である」とはどういう意味なのかを、もう少し詳しく見てみようと思う。
まず、「真空中では」という部分についてだが、これはごく単純。光は、霧や水の中の方が進むのが遅いので、「光速度は不変」とするためには、そうした影響を受けない環境、つまり真空中と限定する必要がある。ただそれだけの話である。
次に、「いかなる座標系においても」という部分だが、実はこれが光速度不変の原理を、「どら○モン」を具現化する理論たらしめている部分なのである。
座標系とは、物事を観測する際の基点であり、物差しである。グラフを書く時のX軸とY軸と言ったほうが分かる方もいるだろう。車にしても何にしても、その速度を量るためには、基準・座標系が重要になってくる。
例えば、信号が青に変わるのを待っている私の前を、炎の柄が入ったタクシーが時速250kmで通過するとする。ぶっちぎりである。この時速250kmとい うのは、止まっている私から観測した際の速度である。さて、このクレイジーなタクシーを、白バイが時速200kmで追跡するとする。相当危険である。残念 ながら、白バイはタクシーに追いつけないが、それでも白バイから観測すれば、タクシーの速度は250-200=50kmであり、制限速度内である。
他にも、踏み切りが開くのを待つ私の前を、ブレーキの壊れた電車が時速300kmで通過するとする。大暴走である。その電車の中で、事態の深刻さを分かっ ていないお子ちゃまが、元気に走りまわっているとする。大迷惑である。その光景を微笑みながら眺める、同じく事態を把握できていない軽くボケた祖母にとっ て、孫の移動速度は時速5km程度である。しかし、踏み切りで電車が通過するのを待っている私から観測すれば、そのお子ちゃまの移動速度は300+5= 305kmであり、化け物である。このように、物の移動速度というものは、それを観察する際の基準、つまり座標系に大きく影響されるのである。
さて、ここで話を光に戻そう。光の移動速度は、秒速30万km程。ということは、上の例のように考えれば、光と平行に秒速20万kmで移動している観察者 から見れば、光の速度は30万ー20万=10万kmとなりそうなところだが、残念ながらそうは問屋が卸さない。光の速度は、静止していようが、秒速20万 kmで移動していようが、同じく秒速30万kmとして観測されるのである。
ちなみに,秒速30万kmというのは尋常じゃない。これは、1秒で山手線を14,500周する速度に相当する。もし普通に山手線を14,500周しようと 思ったら、1日も休むことなく始発から終電まで乗り続けても、1年10ヶ月はかかる。それだけの距離をたったの1秒で移動するのであるから、本当凄まじい の一言である。
とまぁ、とにかく光速というのはぶっちぎりどころの話ではない速度であるが、だからといって暴走タクシーやボケ老人の速度とは同じルールが通用しないとい うのは、不条理である。それはまるで、一定の重量を超えたら重力から解き放たれると言っているようにも思える。もし本当にそうであれば、痩せるのは諦めて 太りまくった方がダイエットになるという、意味不明の世界になってしまう。
ではなぜ光は他の物体と速度のルールが異なるのか。「の○太君」にでも分かるほど単純に言うと、それは光が波だからである。光は波だから、その速度は波長 と周波数で決まる。波長というのは、波が1回の振動でどれだけ進むかを表し、周波数はその波が1秒間でどれだけ振動するかを表す。だから、波長と周波数を かければ、その波が1秒間でどれだけ進むかが分かるわけである。そして、この波長と周波数は、どの座標系から観測されても同じなので、「いかなる座標系に おいても真空中では光速度は不変」なのである。
次回は、この光速度不変の原理がどのようにして「どら○モン」の世界を展開するのかを見てみようと思う。